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青山学院大学 社会情報学部
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UNICEF東京事務所 佐々木佑さん

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-今のお仕事について-

私が所属しているUNICEF東京事務所は、政府とのパートナーシップをメインに行なっており、政府との窓口として、ODA(政府開発援助)からの供出金などの支援を得るために、活動しています。日本政府とUNICEFのパートナーシップについて国民に知ってもらったり、日本政府とUNICEFがどのような面で協力できるのかを考えて提案・調整をしていくことが、この事務所の大きな役割です。その中でも私は、コミュニケーション専門官として、主に広報を担当しており、日本のODA(政府開発援助)によって実施されているUNICEFの事業情報を、タックスペイヤーでもある国民の方々に広く知ってもらうために、ウェブサイトやSNSで発信しています。また、海外からUNICEF職員が来日した際に、イベントや会議などの設定も行なっています。 私が思うこの仕事の魅力は、子供に関する様々な国際問題がある今日、国籍や宗教に関わらず、様々な国の事務所の方々と協力して、子供の権利の推進という一つの大きな目標に向かって一緒に働けることです。

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2019年5月にレバノンに視察に行った際のシリア難民の子供たちとの写真

-今のお仕事に興味を持ったきっかけ-

最初のきっかけは、小学生の時、杉原千畝さんの伝記を読んだことです。第二次世界大戦時代のリトアニアにて、自分の正義感に照らし合わせて、人道的に正しいと思うことを、見返りなく行なっていた姿に、強い憧れを感じ、将来、私も人の役に立てるような大切な仕事がしたいと思うようになりました。 そして、高校生の時の留学を通じて、日本にいたら会えない人や、行けない場所に行けるということに、とても魅力を感じ、英語を通じて様々な文化の人と話せるということが、とても楽しく、努力したからこそ、伝わる思い、会える人を増やしていきたいと思うようになりました。大学に入学してからは、国連やNGOといった組織を知り、自分の描いていた将来の像と合致していることに気付いたことで、そこで働きたいと思うようになりました。


-学生の頃と比べて成長できた点-

今の仕事を通じて、私は異文化コミュニケーションをより円滑に行えるようになったと思います。この仕事は日本人だけではなく、宗教や国籍も異なる、様々な国の人たちと一緒に仕事をしていくので、それぞれの国の人の価値観を認める必要があります。私は、学生の頃に比べて、自分の考えが全てだと思わなくなりました。もしかしたら、私が当たり前と思っていることは、相手の視点から見ればまた違った見方があるかもしれない、ということを認め、考えられるようになったと思います。


-学生時代について-

私はスキューバダイビングサークルに所属しており、合宿をしたりしていました。また、私が在学していた国際基督教大学(ICU)は英語教育に力を入れていたので、英語の勉強は毎日しっかりしていました。 大学1年生の春休みには、ジョイセフ(JOICFP)という国際協力NGOで1ヶ月間インターンシップを行い、ジェンダーに関する仕事を行いました。


-もし学生時代に戻れるとしたら?-

夏休みや長期休暇を利用して、海外でボランティアかインターンシップ活動をしたいです。私は留学をしていましたが、いずれもアメリカだったので、基本的には日本とアメリカでしか長期的に働いた経験がありません。やはり、フィールド経験を学生のうちにしておきたかったと強く思います。今の仕事でも、(他の条件や能力が一緒な場合)フィールド経験がない中でフィールドに行くのは、経験が豊富な人に比べると難しいのではないかと感じています。なので、学生のうちからフィールド経験をつけておくことは今の分野で仕事をしていく上でも、大きなアドバンテージになったのではないかなと思います。


-ご自身で思う人生の分岐点-

友達の言葉に背中を押され、勇気を出して会社の仕事を辞めたことです。 私は、大学を卒業した後、NGOなどではなく一般企業に就職しました。大学の先輩で、当時NGOに勤めていた方が大学に講演をしに来てくださったことがあり、その時に、いきなりNGOなどにいくのではなく、まずは一般企業に就職したらどうかとアドバイスをいただきました。理由として、一般企業はゴールオリエンテッド(目的思考型)で動いていることが多く、日本社会のルールを教えてもらいつつ成長できる環境であること。また、働く中で道を変更したいと思ったときにNGOから企業に移るよりも企業からNGOに移るほうが(特に昔は)容易だったからです。今は時代が変わってきていますし、人の成長の仕方も企業も一つではないと思いますが、当時の私はこの考えに納得し一般企業への就職を決めました。 働き始めて2年が経ち、忙しすぎて夢とかはあまり考えなくなって毎日仕事をしていました。仕事が辛くて、友達に電話で愚痴をこぼしていたら、友達に「じゃあ、今、何の条件も制約もなく、自分のやりたい仕事が何でもできるとしたら何がしたいの?」と聞かれたんです。私は「国連で働きたい」と答えました。そして、次に、「じゃあそのためには何が必要なの?」と聞かれて、「まずは修士号が必要だから大学院に行かないといけない」と答えました。すると、友達が「じゃあまず、大学院に進むことから始めてみれば?」とアドバイスをくれました。私は、それまで、叶わないかもしれない、周りに無理だと馬鹿にされるかもしれない、という思いから、国連職員になりたいという夢を夢と認めるのが怖かったんです。しかし、そのやりとりの中で、初めて「国連職員になりたい」ということが、自分の夢だと認めることができたんです。その後すぐに、会社を辞めて、アメリカのコロンビア大学に修士号を取りに行きました。その友達とのやりとりがなかったら、いろんな思いを抱えながら、あのまま会社で働いていたと思います。

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2016年のUNICEFインド研修時の写真

-学生に向けてメッセージ-

自分の好きなことを見つけてほしいなと思います。学生の間は、いろんなことを経験して、いろんな人に会って、いろんなものを吸収できる期間だと思うので、それを最大限生かしてください。本当に自分が好きなことを見つけられた人は幸せだと思うし、強いと思います。そこに向かって努力すれば、きっと将来自分の仕事が楽しいと思えるような道が拓けてくるはずです。どんなことでも、勇気を出して一歩踏み出してみることが大切です。