1990年代後半のマイクロソフト社の経営戦略についての一考察

岩井 千明

 

A note of Microsoft’s strategy in late 1990’s

Chiaki Iwai

 

はじめに

 筆者は19952月から20002月までの5年間日本法人のマイクロソフト株式会社に勤務し、おもにインターネットサービスであるMSN(マイクロソフトネットワーク)の日本における事業計画ならびにマーケティングを担当してきた。この5年間のパーソナルコンピュータ(PC)やインターネットなどの普及は「IT革命」とまで称されるような大いなる変動を世界にもたらした時期であった。マイクロソフト社がIT革命の中心的な役割を果たしてきたことに反論は少ないと思われる。

そもそも、企業の成功を語る場合に、具体的にその強さの源泉(コア・コンピタンス)を明らかにする必要があるが[1]、従来の経営学のアプローチを見る限り、研究者の専門分野からの分析が大勢を占めてきたのではないかと思える。すなわち、マーケティングの専門家はマーケティングの切り口から分析やSWOTを明らかにし、戦略の専門家は競争優位をかたり、ファイナンスの専門家は資金調達や運用の切り口から企業の優劣を論じている。経営者や上級管理者にとってはそのような専門化した情報の前に、総合的に企業の競争優位を分析し具体的に説明してくれる情報がまず必要なのではないかと筆者は考えている。この研究ノートでは、日本市場を中心に1990年代後半のマイクロソフト社の優位性は、複数の戦略が有機的に結びついているからこそ顧客に受け入れられ、競争相手を凌駕する地位を築いているという仮説に立って、この企業の強さの源泉をいわば内側からの視点で明らかにしていきたい。

 

マイクロソフト社の企業目標

マイクロソフト社の基本的な目標は、他社を凌駕する経営資源(人材、資金、技術開発、ブランド)を駆使して、市場シェアの圧倒的な1位を狙うということである。 例えばWindows 95 を市場投入した1年後の199612月の段階で既に当時のCEOビル ゲイツが掲げたスローガンというのが、“Information at your finger tips”(全ての指先に情報を)であったが、マイクロソフト社社内の立場から端的に言えば、すべてのPCにインストールされるソフトウェアのシェアを獲得しようということであった。当時は表計算とかワードプロセッサとかの会社間の競争が激しかった。例えば、Lotus123とか一太郎といった製品がマイクロソフト社のExcelWordとシェアを競っていた。マイクロソフト社の戦略はWindows 95というOSをバネにして、いわゆるアプリケーション・ソフトウェアのシェアをOS並みにしようというものであった。 結果的には、Windows がインストールされるPCが増えれば増えるほど、インターネットでネットワークにつながるという状態が生まれてしまったわけであるが、それまでは多くのPCはスタンド・アローンで使用されていた。そのスタンド・アローンPCのシェアさえ獲得すればマイクロソフト社の一人勝ちだということで、マイクロソフト社が当時目指したのは家庭用OSWindows 95、ビジネスOSWindows NT(Windows 95よりは安定度の高いOS)ならびにOfficeというアプリケーション・ソフトウェアを投入しシェアを獲得していくという戦略であった。例えば日本市場をみると、OSのシェアは9612月時点でPCの世帯普及率が13%(うちWindows PCのシェアが48%)であったが、996月の段階ではPCの世帯普及率が25%(うちWindows PCのシェアが73%)へと増加している。[2]

 

マイクロソフト社のマーケティング戦略

マイクロソフト社のマーケティング戦略を一見すると決して革新的な企業ではないように思える。むしろ徹底的なフォロアー戦略を行う企業なのである。要するに“Information at your finger tips”というスローガンを具現化するための戦略は、成長期にあるトップシェアの製品の模倣を徹底的に行うというものである。1990年代半ばまでは表計算であればLotus123、ワードプロセッサでは一太郎、またサーバクライアントソフトではNovell Inc.Netware、インターネットのブラウザ・ソフトウェアではNetscapeなどが先行していた。マイクロソフト社の場合はこういった成長期にある製品を対象にして、表計算であればLotus123に対してExcelというソフトウェアを短期間に開発費を大量投入し、同等の品質の製品を開発した上で、マーケティング経費を大量に投入してより多くのシェアを獲得するようにつとめた。より具体的には、とくに個人ユーザーを対象としたプロモーションとしてPCのプリインストールという販売方法を用いた。[3] プリインストールはコンピュータ・メーカーと共同で予めワードプロセッサや表計算などのアプリケーション・ソフトウェアをインストールした状態で出荷するものである。これは今日では当たり前だが、当時はPCのプリインストールというのは一般的な販売方法ではなかった。ソフトウェアの販売方法としてはパッケージ販売が一般的であり、消費者の多くもパソコンとは別にソフトウェアの箱を購入しインストールしていた。マイクロソフト社も当初はパッケージ販売(箱売り)のほうが利益率が高かったことからプリインストール販売には消極的であったが、競合他社への対抗上この施策を推進したのであった。また、ハードウェアメーカはハードウェアの差別化よりはプリインストールによる差別化により割安感を出していくという戦略があったので、大半の企業がこの方法を採用していった。[4] さらに、消費者(特に初心者を中心として)の立場からみれば、自分でソフトウェアをインストールする手間が省ける上に、市販のパッケージソフトウェアを購入するよりも割安であるということで価値のある製品であった。[5] また、ビジネスユーザーに対しては大口のライセンス契約を結んで法人組織単位でマーケットを獲得していったのである。ビジネスユーザーもWindows 95が発売されるまでは、情報担当部門が主導しない限りは、各部門単位でソフトウェアを購入するのが一般的であったが、マイクロソフト社はNetwareに対抗してWindows NTの販売促進すると同時にOfficeの販売活動も積極的に行った。[6] さらに、ブラウザ・ソフトウェアのNetscapeに対してはInternet Explorerを無料で配付した。これらのような、フォロワー戦略を徹底して実施したことにより次第にライバル会社がシェアを失い、開発やマーケティングの費用負担のために財務的に衰えていった。[7]

このように圧倒的なシェアをとるということは、結果的には商品とかサービスで一商品一ブランドあればよいという「デファクトスタンダード」といわれる状態を作り出す。つまり市場にOSというソフトウェアはWindowsというブランドのみ、表計算はExcel、ブラウザはInternet Explorerのみ、[8]プレゼンテーションソフトウェアはPower Point、例外的にワードプロセッサではまだ一太郎とWordとの競合状態が続いていた。

このような状況が作り出すことができたのは、もちろんマイクロソフト社が他社を上回る製品開発力、マーケティング力があったこともあるが、もう一つはソフトウェアという製品が持つ特性として他の製品に乗り換えるSwitching Costが比較的高いということがあげられる。(ソフトウェアの製品特性については「ネットワークの外部性」「lock-in」という立場からこれを論じる場合も多い。[9]) 例えば会社でWordをつかっていれば家庭に仕事を持ち帰った場合にもWordを使う。これは第一にユーザーがWordというソフトウェアの使い方やユーザー・インターフェイスに慣れていることによる。第二にWordでつくった文書はWordでしか読めないというソフトウェアの持っている互換性により他のソフトウェアへの乗り換えの困難さがある。いったんこのSwitching Costの優位性を獲得した企業は、次々と新しいバージョンの後継製品を開発しつづけ、他社の製品の機能・性能による差別化が起こりにくい状態を作り出していくことが可能となる。要するにマイクロソフト社は、資金と人材を投入して競合他社と同等(あるいはそれ以上)の性能の製品を開発し、マーケティング活動により一旦シェアを獲得してしまえば、その次のバージョンアップからは相対的に低いマーケティングコストでキャッシュが獲得できる仕組みを作り出したわけである。前褐のC.シャピロ、H.R.バリアンによると「もしメーカーのある製品がある組織内の至るところに浸透すれば、これとは別の新しいものにスイッチするのに非常にコストがかかる。このようになれば、そのメーカーは企業に対して価格設定と契約の条件において強力な影響力を発揮できるようになる。」ということである。

さらに、Officeという製品については「バンドル化」というパッケージ製品の強みも兼ね備えている。すなわち、ExcelWordといった単体の製品でLotus123や一太郎を上回ったわけではなく、むしろこれらの商品を組み合わせて販売したところにより大きな付加価値を生んだのである。「マイクロソフトオフィスは並外れた成功を収めている。オフィス統合製品市場の90%以上を押さえてしまった。その成功にはいくつかの理由がある。まず、これらの製品が統合されてうまく動作することの『保証』がある。ユーザーがストレスを感じることなくその素材を文書間相互にカットアンドペーストしたり、リンクを張ったりすることができる。さらに、コンポーネントパーツは共有のライブラリを利用して、アプリケーションが使うディスクスペースを節約したり、それらのアプリケーションを別々にインストールしてある場合よりも互いに協調しながら効率的に動作するようになっている。」[10]また、複数の製品を組み合わせることによって割安な価格の印象をユーザーに与えた。

 バージョンアップにより比較的低いマーケティングコストで既存の顧客を確保することで、Windows98年末には70%以上のシェアを達成したのであった。[11] その後もWindows 98Windows 2000など、Windows 95の次期バージョンを発売したことで、OSについてはプリインストールにより自動的に売れてしまう状況ができあがっている[12]。 同時にアプリケーション・ソフトウェアについてもOffice 95Office 97Office 2000という形でバージョンアップが発売されており、既存の製品によりシェアをすでに獲得しているのであるから、競合他社がそれを覆すというのはなかなか簡単にはいかない。ソフトウェア産業に限らず、携帯電話やテレビゲーム、インターネット上のサービス(Yahooなどのポータルサイト、AOLインスタントメッセンジャーなどのチャットサービス等)「ネットワークの外部性」によって結果的に独占状態が作り出される例は数多い。前述の山田によればユーザー側に蓄積される「ソフトのストックの価値」が高くかつ「他人とのやり取りの必要性」の高い製品ほどデファクトを形成する可能性が高い。

 

マイクロソフト社の投資戦略

このように競合他社が衰退して、相対的に低いマーケティングコストで圧倒的なシェアを確保できる状態をつくると、当然企業にはキャッシュが流入してくる。このキャッシュは主に新規事業の投資のために使われていったのであった。

2000年のマイクロソフト社のアニュアルレポートのキャッシュフローステートメントによればPurchase of investments1998年度 19.1 billion USDから2000年度 43.1 billion USDとたった2年の間に投資額が倍増している。例えば、2000年度にはRodgers Communication Inc., Best Buy Co., Telewest Communication plc等の株式を購入している。マイクロソフトネットワーク事業部の例をとっても、筆者の所属していた5年間にNBCと共同出資でインターネットとCATVによるニュース配信サービスのジョイントベンチャーであるMSNBCの設立, 無料電子メールサービスHotmailの買収, 検索エンジンであるInktomiへの出資、認証技術のFireflyの買収、 自動車販売サービスのCarpointの設立など数多くの出資を行ってきている。[13] 

また後述の通り、新規事業投資に関しては同業他社と比較してマイクロソフト社の場合割と低いレイヤーのマネジャーの判断で進められる自由度があった。ソフトウェアやインターネットのように技術革新のスピードが速い産業においては、ライバル社に短期間でキャッチアップするためには自社のリソースで製品やサービスを開発するよりも企業買収が効率的な場合が多い。特にマイクロソフト社の場合には担当のプロジェクトマネジャーには一定のリソース(人、時間、資金)が割り当てられて、これを使いながらコミットした目標を達成していく。従って、合理性が認められれば企業買収による新規事業の立ち上げは大きな反対なしに認められる。また、企業買収には時間の節約になるという側面もあるが、潜在的なライバル企業をコントロールできる状態も同時に作り出すことができる。[14] 通常の投資判断においては必要に応じて市場調査を外注して向こう5年間の売上やキャッシュ・フローを予測していくわけであるが、マイクロソフト社の場合はそのような事業計画の立案はほとんど一担当者がごく短期間に行っていた。特に明確な社内ルールはなかったが将来計画は向こう3年間が一般的であった。[15] 従って、社内においてはあたかもプロジェクトマネジャーが個人の事業者のような立場でトップマネージメントに投資提案を行うのである。それを受けた上司(事業部長や副社長クラス)は直ちにそのプロジェクトの可否を判断した上、代替案とともに決断を行う。通常このサイクルは3−6ヶ月程度で完了する。この場合この投資にかかわる決断はプロジェクトの当事者と上級役員の議論を通じて行われ、法律と会計の専門家は検討チームに早期の段階から含まれているが、社内の他部門はあまり関与しない。このことにより迅速な判断が可能となり、ビジネスチャンスを逸することが比較的少なくなるわけである。

 

マイクロソフト社の人事戦略

マイクロソフト社での社員の動機付けについては既にいくつかの文献でその内容が詳細に述べられているが、[16]主にソフトウェアエンジニアなど開発者を中心に事例が紹介されている。ここでは主に事業企画やマーケティングなどの職種を例にとって説明をしたい。ソフトウェア会社は人材が最も重要な経営資源であって、優秀な社員の採用や確保のためには他社よりも優れた条件を提示する場合が多い。[17] マイクロソフト社といえばすぐにストックオプション制度が指摘されるが、ストックオプション制度は一連の動機付けのひとつに過ぎない、(ストックオプションの権利を有しながら退職していく人間も少なからず存在した。)むしろ、この会社の強さの本質は簡単に言えば最高の人材をその限界まで働かせながら優れたアウトプットを引き出す一連のシステムにある。すなわち、世界から最も優れた人材を採用し、業務を遂行のための適切なリソースおよび権限を付与し、最高の環境とプレッシャーのもとで業務を遂行させ評価するシステムである。もし結果がコミットメント以上であれば(つねにそう期待されているが)しかるべき報酬(金銭やポスト)を与え、目標を下回れば降格や解雇勧告を行う。すなわち、リソースを伴う権限委譲とその成果報酬システムが確立していることである。[18]

まず採用の手順であるが通常1つのポストに対して1020名の候補者の中から採用するという状態であった。また、採用枠があっても該当者が見つからない場合には採用を見送る。候補者の選定は自薦あるいはヘッドハンティング会社を経由する場合が多い。この段階で候補者は学歴や過去の業務経験などより実践的な能力が問われることになる。セレクションは特に面接が重んじられ、1次面接は通常は直属の上司と人事部の担当者が同席し、上級幹部との面接も含め通常3回くらいは行われる。どのような人間が採用されるかは一概には言えないが、筆者が米国ワシントン州レドモンドの本社で打ち合わせた幹部社員(副社長ないし事業部長クラス)と話した時の印象を述べたい。彼らは全てにおいて自信にあふれかつ断定的であった。そして年齢はいずれも35歳以下であり、世界でももっとも優秀な大学のMBAやダブルマスターが普通である(学歴よりも実力優先とは言うものの結果的に管理者は高学歴の人間が多かった)。彼らはいくつかの権限が付与されるがもっとも日本企業と異なる部分は経営資源をある程度自由に使用できることであろう。前述の投資に関する権限とともに、人材の採用はそのマネジャーの責任となり、人材募集広告や履歴書審査そして1次面接は彼または彼女の責任となる。正社員を採用する場合には更に上級幹部との面接が必要となるが、契約社員の採用などはマネジャーの裁量で決定できる。マネジャーと呼ばれるものは一定のリソース(人、予算および時間)を与えられその範囲内でコミットしたアウトプットを出すことを半年に1度づつ上司とチェックする。(これは「パフォーマンスレビュー」と呼ばれている。)これらの人間の出入りはヘッドトラックスというシステムで管理されている。「今日では、マネジャーたちは従業員の人事処理をすべてオンラインで起案している。それを受け持った責任者は誰でも申請を『差し戻し』て、原申請者に申請を変更させてからデジタルで再送させることができるし、あるいはその変更をそのまま承認し、次の処理にまわすこともできる。申請に関係した者全員が、変更申請にリンクされた電子メールを受け取るから、関係者は誰でも審査することができる。歴史的に見ると、人事異動の申請を人事部が拒否するのはほとんどが些細な問題か、コード番号の誤りによるものだった。ヘッドトラックスはこの種の拒否を事実上皆無にしてくれた。マネジャーがどのクラスの人事申請でも他の人に承認の責任を委譲できる『代行への委任』という特色は、結果的にヘッドトラックスの最も重要な機能となった。それによってバイスプレジデントは管理担当補佐に、毎度おきまりの配置替えや人事異動の承認権限を与え、また上級マネジャーにはそれぞれの部下の報酬とか昇進の申請を承認する権限を与えることができるようになる。『代行』は幹部にとって、例外措置を講じるために必要となる時間をつくってくれるし、その間にも通常の承認プロセスは阻害されないですむ。仮に千人もの部門がいろいろなコストセンター(費用責任部門)を変更したり、全部門が組識再編で異動するといった場合でも、管理担当補佐が各部門を全体的にとらえて、たった一回ボタンをクリックするだけで組織図を全部変更してしまうことができるのである。ルーティング(経路制御)という特色がヘッドトラックスをさらに柔軟なものにしている。たとえば、ある上級マネジャーが昇進というような、ある特定タイプの人事異動を審査したいときには、申請をするマネジャーは、申請が人事部に行く前にその人を一括審査の輪の中に追加できる。ヘッドトラックスは管理以外の仕事にも役に立つ。従業員の誰の名前を入力しても、ヘッドトラックスは全組識の中でその人の上から下までの関係をすべて表示できる。また、ヘッドトラックスは素早く組織図をつくることができるが、要求すればフルネーム、電話番号、部屋番号、部課番号など、いろいろな属性に応じてそれぞれ特別に作成してくれる。」[19]

このように、マイクロソフト社では優秀なマネジャーをあたかも個人事業主のような取り扱いを行い、一般的な業務にはITによるオフィス業務の省力化ならびに契約社員制度を導入することによって極力ルーチンワークにかける時間を削減して、本来の業務のみに集中させることにあった。もちろん、一方ではコミットした水準に達しない社員を淘汰するルールも機能していた。

 

結びにかえて

以上マイクロソフト社の強みを“Information at your finger tips”というスローガンに基づくマーケティング戦略、投資戦略と人事戦略から論じてきた。冒頭に述べた通り、マイクロソフト社の1990年代後半におけるコア・コンピタンスはこれらの複数の要因が有機的に結びついていたことにある。言い換えれば、未開拓であったPC市場に対して、デファクトスタンダードの達成を目指したマーケティング戦略を優れた人材と企業買収をもとに展開してきたことにある。これらの要素がどれ一つ欠けていてもこれほどまでの成功はなかったであろうと考えられる。

2000年のマイクロソフト社のアニュアルレポートではこの会社の向かうべき方向と経営環境のリスクについて述べているが、[20]この企業をとりまく事業環境は日々刻々変化している。2000年代に入りマイクロソフト社は“Microsot.NET”というスローガンを打ち出して先行するYahooAOLなどに対抗するという姿勢を明確にしている。これは、従来のソフトウェアビジネスからインターネットビジネスへのシフトを示唆している。この新しいコンセプトは従来の“Information at your finger tips”に取って代わるほど、明示的な目標を社内外に示してくれるであろうか。またマイクロソフト社はゲーム機市場や携帯端末市場にも参入しようとしている。これらの市場にははすでにネットワークの外部性を利用してデファクトスタンダードを築きつつある企業がいくつかあり、これまでのように成長期にある製品をフォロワー戦略で攻略するというマーケティングが簡単に通用するとは限らない。従って、新しい競争戦略を創造していく必要があるのではないかと思われる。

また、人事戦略に関しても、筆者は20002月にマイクロソフト株式会社を退職したが、この時期以降に日本法人の社長を始め比較的職歴の長い社員が相次いでこの会社を去っている。この理由は主に三つあると考えられる。一つは1990年代後半に見られたような経営戦略が通用しなくなったことによる停滞感、[21] 第二に極度のハードワークの結果、仕事に燃え尽きたあるいは飽き情熱を失ったこと、第三にマイクロソフト社株式の下落に伴ってストックオプションの魅力が相対的に失われてきたこと[22]というのが本音ではないかと思っている。即ち、自らの成功そのものが結果的な停滞感を招いたのである。競争が激化するIT産業の中で優秀な人材を確保しさらに動機付ける新しい戦略も同時に求められている。さらに株安は同社の投資戦略にも少なからず影響を与えるであろう。

1990年代後半はソフトウェア産業においてまさに激変の時代であり、マイクロソフト社は自らその変化を生み出してきた会社である。社員たちはまさに身を粉にして家族や私生活を省みずに働いてきたのである。それだけの魅力がこの会社のマネジメントと会社がおかれた環境にあったということがいえる。筆者も社員の立場から振り返ってみると、まさに激烈な競争の中に身をおいた、きわめて過酷であると同時に世界を自らの手で開拓していくような充実感にあふれた日々であった。また、この会社の中でマネジャーとしての立場を思い起こしてみて、マイクロソフト社が活動しているソフトウェアやインターネット産業の変化があまりにも高速であるために従来の経営学では説明しきれない(あるいは対応しきれない)ものが多々あったように感じていた。しかし同時に異なる状況のもとでも、マイクロソフト社の経営手法が通じると感じる部分もあり、今回のノートでは一般的に応用可能な部分を記してきたつもりである。外部からこの会社を見るにつけ、この激しい事業環境の変化の中にあってトップの地位を保ちつづける経営幹部たちの経営能力の高さおよびともに働いてきた社員たちに対して改めて尊敬の念をもつものである。


 

1



2


 

 

Source; IDC Japan

 


3

 


Source; Microsoft Corp Investor Relations

 

 



[1] 「コア・コンビタンス経営」G.ハメル, C.K.プラハラード 一條和生 日本経済新聞社,1995

[2] 表1および表2参照。

[3] そもそもソフトウェアのプリインストールを始めたのはLotusや一太郎が先であった。

[4] マイクロソフトがオペレーティングシステムの市場で競争を繰り返していた時代にさかのぼると、同社はスライディングスケールを利用してクローンメーカーにDOSをライセンスしていた。このスライディングスケールとは、メーカーが「生産した」マシンの数を基準にするもので、プロセッサ数ライセンスとも呼ばれていたマシン上にDOSがインストールされているかどうかは問わなかった。というのはマイクロソフトのOEM先のメーカーが、自分たちが販売したプロセッサ(マシン)の数に対してのみ、マイクロソフトにDOSのライセンスに対するロイヤリティを支払うようになっていたからである。価格がつけられた根拠はマシンの「生産台数」であって、DOSがインストールされたマシンの数ではないことに注目すること。つまり、出荷前にメーカーがマシンにOSをインストールしようとするとき、自然のなりゆきでDOSが選ばれる、ということだ。(「『ネットワーク経済』の法則」 C.シャピロ、H.R.バリアン著 千本倖生監訳 IDGコミュニケーションズ, 1999)

[5] マイクロソフト全社の売上に占めるOEM(プリインストール)の割合は95年度27.2%, 

96年度     27.7%,  97年度29.2%,  98年度30.9%,  99年度 32.4%, 2000年度 30.5%である。(3)

[6] マイクロソフト全社の売上に占める法人ユーザー向けライセンス契約(Enterprise Software & Services)の割合は98年度16.0%,  99年度 16.9%, 2000年度 17.8%である。 (3)

[7] LotusIBMに吸収されてしまったし、一太郎を開発しているジャストシステムズも98年年度以来赤字経営である。 Windows NTにシェアを奪われたNovell Inc97年度に赤字となり、以後復活した。Netscape1999年にAOLに買収された。結局マイクロソフトと競合する製品を持つ会社は弱体したり、吸収合併されたりしている場合が多い。

[8] Internet Exploreの日本における利用率は60.2%, Netscapeの利用率は23.3%であった。(「インターネット白書2000」日本インターネット協会編 インプレス, 2000)

[9] “Lock-in”については前褐C.シャピロ、H.R.バリアンに詳しい。また、ネットワークの外部性やデファクト・スタンダードの形成にいては 「デファクト・スタンダードの経営戦略」 中公新書 山田英夫著1999年に詳しい。

[10]前褐C.シャピロ、H.R.バリアン

[11] 表2参照

[12] Windowsに対抗するOSであるLinuxの興味深いところはマイクロソフト社と同じ戦略をOSでやろうとしていることである。マイクロソフト社がかつてブラウザでNetscapeに対してとったと同じく、 Linuxは原則として無料でOSを配布している。 ユーザーの立場から考えると、Linux環境でもOffice等の既存のアプリケーションソフトウェアが動くということが保証されれば、特別にOSのブランドにはこだわらないことが多いと思われる。もしもLinuxが安定的に動いて無料だったらWindowsとのシェアの逆転があるかもしれない。 もしそうなったらマイクロソフトはWindowsの機能限定版を無料にするという対抗策をとることも考えられる。

[13] もともとMSN事業もAOLを買収して行う予定であったが、失敗したために自社で始めたわけである。

[14] その会社買収の意思決定が実は日本法人のマイクロソフト株式会社ではなく、ほとんど本社決定事項であった。

[15] 事業計画のスパンは3年でも長すぎると考えられていたが、形式的であってもそれより短いプロジェクトの判断は行われにくい。また、新規事業への投資に関する判断基準は、収益性よりも比較競争力の強化や市場占有率の確保がより重視されていた。

[16]日本におけるマイクロソフト社に関する文献は極めて多い、121日現在でオンラインと図書販売のbol.comで検索したところ「マイクロソフト」で380件、「ビル ゲイツ」で9件、また国会図書館のWeb-OPACでは「マイクロソフト」で495件、「ビル ゲイツ」で28件あった。なお、ストックオプション制度など人事制度の詳細は「マイクロソフトのマネジメント」 デビッド・シーレン著 成毛真 岩崎尚人 訳 日本能率協会マネジメントセンター, 2000を参照のこと。

[17] これはプロ野球のフリーエージェント制度によく似ている。他社の優れたプロダクト・マネジャーがいればその人により有利な条件を提示してスカウトする。社長クラスの人材も引き抜く。作戦をどうのこうのする前に有能なプレイヤーをフロントが揃えてしまおうと。そうやれば負けるわけがないだろうというふうに考えていた。

[18] 筆者が所属していたMSN事業部のトップは女性で、300人くらいの部下を仕切っていた。その後彼女は部下1人になってしまった。期待して呼んできたのだけれどもよい結果が出なければ降格してしまう。結構厳しい社風があった。そのような処遇を受けた社員のプライドを考えると相当なショックであったと思う。

 

[19] 「思考スピードの経営」W.H.ゲイツ著 大原進訳 アスキー, 1999

[20] このアニュアルレポートの中で問題点と不確実な事業環境として、急激な技術革新と競争、先行投資分野、PC成長率、製品出荷スケジュール、市場の飽和、価格、期待利益の確保、従業員への報酬、海外経営、金融マーケットリスク、知的財産の保護、訴訟問題および会社の成長率を挙げている。

[21] 筆者は時速200kmで走っていたスポーツカーが100kmに減速したような感じがする。

[22] 19991223日に117.7/16 USDから20001220日に41.1/2 USDへとほぼ直線的に下落している。